病むに病まれず病み時雨

イナリだいありぃ

ただ認めてほしいだけなんだ

イナリ式(識)結論グラコスタン 


おにぎりだいすき、神山識ちゃんだよー☆
今日はとーーーーーーーっても強いデッキができたからみんなに教えてあげる!特別だからね?(><)

6月のメソロギア環境について

それなりに対戦数をこなした結果、ぼくはある結論にいきつきました。
"環境がない"んです。
ナーフに次ぐナーフ、それに新カードにもパワーカードがなかったため単純にパワーの高いデッキというのがなくなったんですよね。まあこれについての善し悪しは好みの問題でしかないので置いておくとして(個人的にはメタゲームが成り立たないぶん幅が狭くなると思ってるので嫌いです)。

でもスタン多いじゃんって思った人いるでしょ?メタる相手がいないから尖ったデッキは使いにくい、要は誰に対しても平均的に戦えるデッキとしてスタンが増えているだけなんです。

白騎士を含むコントロールが環境にほとんどいない理由も似たようなもので、今まで交通事故で割り切れていた魔導書だのグラコアだのにそれなりの頻度で当たってしまう。そのストレスに耐えながらメソロギアやるような人は恐らくもう残っていないでしょう。

総評として、フラフラしていて取っ掛かりがない。"ぼくは嫌い"な環境と言えます。大事なことなので2回いうんですが、批判してるんじゃないです。好みです。

デッキ紹介

まずスタン系統のデッキを使おうと考えました。誰に対しても50:50以上の勝負ができるからです。ただそこ止まりだと結局しょーもない1/2じゃんけんをすることになるため、そこになにを付け加えるか。

スタンの弱さは白騎士などのコントロールデッキに対しての遂行速度に欠けるところです。さらにアタッカーをどのタイミングで引けるかの引き運依存な面も少なからずありました。
これに対する回答として、グラビティコアを採用した暗黒スタンデッキを思いつきました。

暗黒スタンはエリカを採用する都合上チャージャーのパワーは自然と高くまとまり、アルフレッドなどを絡めて2連でアタッカーを投げる展開も多い(余剰spが生まれやすい)ため44というコストもそこまで苦にはなりません。さらにエリカを引き込むために採用されていた不服の魔女も、仮想的に対してグラコアを引くためのドロソとして噛み合います。
さらに、スタンにはスタンプラン、コントロールにはグラコアプランと切り替えることでロイサバルイスのような低パワーチャージャーや盾をいれる必要がなく無駄がありません。

その他新規採用カード

カースクイーン

スタンと殴り合うために採用。グラコアプランをとる際もチャージャーパワーを上げられるため腐る場面がなかった。
エリカで不死鳥に相討ちできるのもgood!

エルフアーチャー

同じくスタンと殴り合うためだが、どっちかというと「メリット付きの10点チャージャー」くらいの認識で使っていた。sp回収力が半端じゃない。最低限8バニラとして使えるのもいい。

カイロス

環境にスタンが増えたこと、カースクイーンのおかげでローズなしでも発動機会が増えたことからピン差し。いらないときはグラコアともども不服で流せるので使いやすかった。

ベルセルク

最初はマッドガンナーだったがコスパの良いデッキが増えて半減が何の意味も持たなくなったと感じたため変更。
打点が足りなくなる問題はカースクイーンで解決している。このようなsp削減カードが入っていることでグラコアミラーになったときに相手がロイサバを使うターンでsp有利になる。ちなみにローズも入っているため堕天使対策もできている。
スタンミラーにおいても相手が早々にアタッカーを切ってくれてアルフレッド始動のエリカ展開が取りやすかったので手札にいることに意味があると思う。

後語りとか愚痴とか

5000まではすぐいけたのでよかったら使ってみてくださいニャーฅ( ̳• ·̫ • ̳ฅ)

6000以下のレートなんて何の意味もないんですが、45勝で達成できたのはそれなりなんじゃないですかね。


※こっからは独り言なので興味がある人だけ読んでください

この前Twitterを眺めていたらしょーもないことで言い争ってる人がいたんです。
見てる分には面白いからいいんですけどね。

で、なんでこんな論争になるんだろうって考えました。
一人一人、きっと考え方の基盤になってるもの。言ってしまえば独自の「世界」を持ってると思うんです。それはそれまで生きてきた人生の集大成で、優劣なんてつけられるものではありません。この「世界」をもとに具体的な「主張」がでてくるわけです。

優劣がつけられないなら議論って何の意味があるの?って話なんですけど、議論は「なぜ主張が食い違うのかの原因を特定するため」にやるものだと思ってます。

この順序でいけば議論に憎しみや苛立ちなんてものは混ざらないはずなんですよ。
こんなやりとりがあったとします。

A「箒で空飛んだらすぐ着くじゃん」
B「いや飛行機とぶつかったらどうするねん」

おかしいですよね。なにがおかしいかわかりますか?
Aさんは科学が廃れて魔法が発達した世界に生きてます。Bさんは魔法が廃れて科学が発達した世界に生きてます。Aさんの世界にはそもそも飛行機なんてないんですよ。
これが「世界」、つまり考え方の根っこそのものが噛み合ってない状態で、議論になんてならないわけです。「世界」が違うなら話し合っても分かり合えないんです。

現実はこうやって「世界」が違う人にも従わないといけないこともあるでしょう。親や上司の一方的な言い方がムカッとくるのは他人の「世界」を押しつけられてるからです。

でもTwitterにはそんなしがらみはないです。みんなの「世界」が対等なんです。
Twitterの論争のほとんどが、『相手の主張を自分の「世界」で捉えてしまう』ことで起きているような気がします。

仲良くしませんか?Twitterくらい。

仮に相手の主張に「ん?」と思っても、そもそもその対象に対して同じ考え方でいるかなんてわからないじゃないですか。
論争はそれを確かめてからでもよくないですか?
どっちかだけが正しいなんて考え方やめませんか?